「わからないこと」を伝える

大学院で教えていると、1月中に授業が終わった後の春休みはちょっと楽になる、と思いきや、レポートの採点、成績入力、講評の作成など、2次募集以降の入試面接など、けっこういろいろとあり、加えて2月は弁理士会の講師もあったり、また原稿の締切もあり、非常に多忙な2月でした。3月に入って今週末は実に久しぶりに締切の仕事がなく、実に久しぶりにブログのことを思い出し、しかしちょっと時間がある間に4月にバタバタしないように、今のうちにやれることをやっておかなくては、と寛ぐことができないビンボー症の私です。

で、4月以降の授業のやり方について考えているときに、以下の記事を目にしました。

永田和宏「『わからないことを』を伝える」日経新聞2010年3月1日(「プロムナード」欄)

・・・専門的な知識の体系をいかに過不足なく伝えるかではなく、こんなことさえわかっていないのだと気づかせるのが、本当の意味での大学における教育であろうと、私は考えている。

 しかし「わからないこと」をわかってもらうためには、どこまでわかっているかを知っておいてもらう必要がある。換言すれば、知識はそのためにだけ必要なのである。わかっていることだけを勉強するのなら、講義になど出ずとも教科書を読んでいるほうがはるかに効率的だ。

 (中略)

 いまや自然科学は膨大な過去の知識の集積を抱えている。それらを<伝授>しようなどと考えると、講義が退屈になることは請け合い。私のわずかな経験からも、学生たちは、私がいま関わっている研究の話をし、こんなこともまだわかっていないんだと例を挙げるときに、もっともヴィビッドな反応をしたものだ。

以上は自然科学の分野の話であるが、私は大いに共感した。知的財産の分野は、「膨大な過去の知識の集積」というほどのものはないが、一昔前と比べると判例研究が充実してきており、概説書も多くなってきている。そういった判例、学説を紹介することの意味は、現状で未解決のこと、研究がまだ十分でないこと、考えられる新しいアプローチとは、といったことをわかってもらうこと、ということになるだろう。

永田氏も述べておられるように「言うは易く、行うは難し。」である。私も僭越ながら模索中である。一点、強い思いとしてあるのは、大学院の講義にせよ、新人研修にせよ、皆と同じ考え方をする知財担当者や弁理士を量産するのではなく、皆と違う考え方ができる人、新規な分野を開拓しようとする人と自分も一緒に勉強したい、ということである。

4月からの来年度、大学院のゼミでは学生と学際的な研究を目指していて、その準備のための勉強も必要!というわけで、気持ちは高揚しているものの、身体はちょっと一休み、の週末でした。

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長寿の方の資料整理

NHKの朝の番組で。聖路加名誉院長の日野原重明氏は、講演依頼が多数あるところ、来年以降の講演についても既にファイルを作って、そのタイトルに合った資料を見つけるたびにファイリングしているという。

翻って自分。目前になるまで、その仕事自体の存在を頭から消し去っている。よって、資料は直前にかき集めることに。

NHKの日曜の番組「この人に会いたい」で。漢文学者の白川静氏は昨年96歳で亡くなられたが、この番組中では、後進の研究者のために、自分が収集した資料の整理をしておられるところで、「毎日少しずつやれば、こんなのはなんてことないんです」とおっしゃっていた。

翻って自分。いつか時間がある時にまとめて整理しよう、で何年たっていることやら。。。

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知財研究の目的

今日から9月。夏休みモードでブログも夏休みとなってしまいましたが、事務所の方もちょっと落ち着いてきたところで、これからポツポツと書いていきます。

先日、知財分野では知られた学者の方と、研究会の後の懇親会でお話する機会がありました。その先生には、○○年前に、大学で講義を受けたこともあり、懐かしさもあって、隣の席へ。

そこで、私がこれから考えている商標と関係した研究テーマについてお話したところ、「それは大いにやったらいいですが、裁判官を説得できるかどうかですね」とおっしゃられました。

私はそのお言葉には意外の感を受けました。知財に限らず、法律分野の学者の説というのは、究極的には裁判官を説得するための理論構成であるのか?そういう考え方は学者としては謙虚に思え、一方、学説というのは裁判官の説得のためではなく、(裁判官が誰か、によっても判断は異なり得るのであるから)真理の探究にある、という大上段の考え方もあるのでしょうが、そうなると法哲学的な議論になりそうで、私には全く素養がありません。

それと関連して、「知財は学問ではない」という考え方があり、先日さるシンクタンクの部長とお話したときも、大学院の知財教育の話をしている時に、そのように断言されておりました。私もそれには異論はなく、常々「知財は学問ではなく実学ではないですか」と言ってはおります。しかし、知財法がより現実問題を解決するのに直結し改正も頻繁であるからとはいえ、法律というのは現実問題を解決するためにあるのは民法であっても同じなわけです。学問と実学との違い、というのも議論になり得るところです。

これらについては別に個々人の考え方でよく、結論を出すべきことでもないのですが。自分としては、弁理士としての知財法の探求というのは、クライアントの現実問題の解決のため、というのが最優先課題であるわけです。これが、学問であれ実学であれ、大学院で教える際には、普遍的な観点に立たなければならないのは当然であり、ある問題について具体的に妥当な解決というのは、例えば、当事者の衡平を主眼に考えればよいのか、あるいは産業政策として国全体のことを考えるべきなのか、あるいは国際的制度調和も考慮に入れるべきなのか、など、目前の問題を解決するのが実学、であるとすれば、もっとある意味理屈(よく言えば理論)の世界へ入ってくるように思います。

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教え方

今年度から始まった大学での講義で試行錯誤している今日この頃、そういえば父は教員であったのだから、教え方について、何かアドバイスをもらおうと思ったのだが・・・

父は東京文理科大学(先には東京高等師範学校。後の東京教育大学、現筑波大学。)出身なので、大学では教授法のようなものを学んだのではないか、と思ったのだが、それは大間違いであった。文理科大学は学問する大学であって、教授法など一つも学んだことはない!!とのこと。

そもそも昔の大学では教授は神様で、教え方がどうの、という世界ではないしな~、、、聞く人を間違えました。しかし、ある意味うらやましい世界。自分の学問に浸っていて、その片鱗を見せる、というやり方で、アウトプットの仕方がいかにわかりにくくても文句をつけられない世界というのは。

時代は変わりました。。。

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新司法試験

クライアントの元担当者の方で、法科大学院へ転進した方から、新司法試験合格のメールが届きました。私と同世代の方なので、私としても(われわれ世代もまだまだだね、って意味で)力づけられるとともに、その決断力をうらやましく思いました。以下は、お祝いの返信メールです。

おめでとうございます!!思い切っての転進が大成功、傍から見るとうらやましい、というところですが、その成功にはかなりの努力をされたものと推察いたします。というのは、全くレベルは違いますが、昨年、弁理士の訴訟代理人の研修で、けっこうたいへんでした。半年間、週末は全て勉強に当てました。これが法科大学院だったら、と想像する次第です。これから知財の道に復帰されるのか、わかりませんが(もっと広い道ですね?)、どこかで接点があれば、と願っております。

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大学とのコラボ

本日はNPOの仕事で、ある大学関係者とディスカッション。大学の先生がその大学で実施中のEラーニングについて説明したあと、教育論の話になり、デザイン関係の学生の創造力を伸ばすには、といったことについて意見を求められたので・・・

Eラーニングの効果確認の試験にしても、○×式の試験では、創造力は伸びるはずはない。昨今は、宿題を出しても(夏休みの工作の宿題でさえ)、ネットに答えが載っており、どんな問題を出しても、自分で考えないで、ネットで検索してそれを引き写し、レポートにしても、ネットで検索した文章をつなげただけ、という学生が多いと聞いている。対策としては、正解のない問いを発して、思考過程を見る試験にする必要がある。(しかし、このような出題だと採点する教師の負担は増すわけですが)

弁理士試験にしても、「みんな同じ答え」となる問題ではなくて、できるだけ思考能力を見る試験にしないと、結局は条文を暗記してますか?、という試験になってしまう。自分の部下の採用試験については、破綻はないけどフツーの答え、よりも、破綻はあっても閃きのある答え、を高く評価しています。

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研究者の道

面接にきた女性の技術者が非常に優秀な人だったので、なぜ研究者の道へ進まなかったのか聞いたところ、研究者になると一つのテーマをずっと追求しなくてはならないが、明細書を書くのであれば、いろいろな技術分野に接することができるから、とのこと。

これは理系に限らず、(私の分野であった)社会科学でも言えることで、出身大学の教授が退官されるということで退官記念講演を聴きに行き、驚いたことがあります。それは、その教授(非常にまじめで研究熱心な方です)が、私が在学していた時の研究テーマと全く同じ(か、ほとんど同じ)テーマで講演され、その研究が(20年以上やって、もう退官されるというのに)まだ完成されていない、ということなのです。

う~ん、私の性格としても同じことを一生やるより、いろいろな世界を見てみたい。これが私も研究者をドロップアウトした理由でしたが。

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